2023年11月11日(土)~12日(日)の2日間で行われた福島視察ツアー。
北海道から鹿児島まで、全国8都道県・計21校より中高生約70人が参加しました。震災伝承施設や商業施設を訪れ、フィールドワークで町を巡り、福島の食を堪能。ニュースやネットからではなく、自分の目で見て感じた「福島」は――?
ツアーの様子をレポートします。

震災遺構浪江町立請戸小学校で津波浸水深の標識を確認する生徒たち

ツアー行程

1日目/11月11日(土)

・道の駅なみえ
・震災遺構浪江町立請戸小学校
・東日本大震災・原子力災害伝承館
・ナショナルトレーニングセンター Jヴィレッジ

2日目/11月12日(日)

・フィールドワーク(大熊町/富岡町/楢葉町)
・四倉漁港
・いわき・ら・ら・ミュウ

旅のこぼれ話

1日目〈11月11日(土)〉

道の駅なみえ

浪江町の復興のシンボルで、名物“釜揚げしらす丼”ランチ

東京駅を出発し、バスに揺られること約3時間半。福島県沿岸部・浜通りのほぼ中央に位置する浪江町にやってきました。まずはここで腹ごしらえ。請戸漁港に水揚げされた鮮度抜群のしらすがたっぷりのった釜揚げ丼を味わいます。

この日は土曜日。「ふくしま応援ポケモン」のラッキーがモチーフの「ラッキー公園inなみえまち」ではファミリーが遊具で遊び、アイドルグループのイベントも行われていて、施設は多くの人でにぎわっていました。道中の車内では人影少ない町の風景を目にしていた生徒たちも、活気ある姿を見て元気をもらった様子。参加生徒同士の交流を深めながら、名物ランチを楽しみます。

しっとりとして柔らか食感の釜揚げしらすに、しょうがやネギの薬味をたっぷりのせて。お腹が空いていた生徒たちは一気にペロリと平らげていました。食事のあとは、お土産コーナーで買い物を楽しみ、桃味のポテトチップスや地元で人気のカフェオレを使ったお菓子などを手に取っていました。

震災遺構浪江町立請戸小学校

津波の爪痕が残る校舎で“あの日”の出来事を知る

つぎに訪れたのは、津波の直撃を受けた旧請戸小学校。震災当時の姿をそのまま残した校舎は福島県では唯一の震災遺構として保存されています。

「津波の高さは15mを超えた」と頭ではわかっていても、校舎の2階部分に記された津波浸水の標識を見上げるまで実感が湧かなかった生徒たち。数年前まで自分たちも通っていた小学校の姿に重ねながら、天井や壁が剥がれた教室を写真におさめ、窓ガラスが破れて吹きさらしの校内をゆっくりと歩きます。

生徒の声

―当たり前だと思っていた日常が一瞬ですべて奪われてしまうこと。周りの住民のなかには命を失った方もいる。だからこそ今を生きる私たちがすべきことがあるように感じた

―マニュアル通りにはいかないけれど、それでもいざという時考えられる行動を準備していきたい

ひとつひとつ丁寧に紡ぎ出された生徒の言葉には重みがありました。被災前の写真、当時の津波の映像、変わり果てた町の姿、そして復興を目指し励ましあう応援の言葉…。「もし自分の町で、もし自分の学校で起きたなら」と想いを巡らせ、胸を熱くしながら静かに校舎を後にしました。

東日本大震災・原子力災害伝承館

豊富な展示資料から過去・現在・未来の福島を学ぶ

地震・津波だけでなく、原発事故という複合災害に直面した福島県。その記録と記憶を伝える伝承館は、特に印象に残った施設として多くの生徒が挙げていました。

震災以前確かにここにあった人びとの暮らし、そして震災が起き、避難へと至る過程。いずれすぐに戻れるだろうと思っていた避難生活は長期化し、いまなお戻れない地域があること。「自分が想像していたよりも何倍も複雑で過酷だった」と、ある生徒はつぶやきます。

ただ、メディアで見ていた情報だけではわからなかった事実にも出会いました。原子力発電所があったことで町に雇用が生まれ、暮らしと共存していたこと。それまで「負」の印象を受けていた生徒たちにとって、それは新しい視点でした。

ほかにも、除染作業に関する展示や米の全量全袋検査模型など、人びとが安心して暮らすためのさまざまな取り組みを学んだ生徒たち。アテンダントスタッフから「安心と安全は別もの。数字で安全だったとしても、それがココロの安心につながるとは限らない」と説明を受け、風評の影響を払しょくするために、自分たちにできることは何なのかを改めて考えるきっかけとなりました。

ナショナルトレーニングセンターJヴィレッジ

復興のシンボルの地で交流を深める

1日目のラストは、日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンターとして1997年にオープンしたJヴィレッジ。今回のツアーの宿泊場所であり、親睦を深めるレクリエーションの場として訪れました。

W杯日本代表のサッカー選手が合宿で利用したこともある施設とあって、生徒たちはちょっぴり興奮気味。でも実は、この施設も震災の多大な影響を受けた場所でもありました。

津波の直接の被害こそ受けなかったものの、震災直後から約8年間にわたり、原発事故収束の拠点となったJヴィレッジ。目の前に青々と広がるピッチは、当時、車や鉄板が置かれ、スタジアム内には原発作業員向けのプレハブ宿舎が並んでいました。新たに全天候型練習場とホテルが併設され、2019年に全面再開を迎えると、こうして再び多くの人が集う施設となったのです。

夕食の前には、ピッチで体を動かし、チーム対抗のウォーキングサッカーが行われました。全国各地から集まり、最初はよそよそしい雰囲気もあったなか、1日目の行程を通してすでに打ち解けた生徒たち。寒さを吹き飛ばして、笑い声が絶えないレクリエーションとなりました。

夕食後は1日を振り返るグループワーク。福島で見たこと、感じたことを素直に話し合います。

生徒の声

―テレビや新聞で知れる情報はほんの一部で、自分の目で見て、雰囲気を感じて、さまざまな視点から見ないとわからないことがあった

―みんなが協力し合って、少しずつ福島が復興していることがわかった。一方で、いまだ苦しんでいる人たちがいることもわかったので、これからの自分に何ができるのか考えさせられた

実際福島に訪れることで、いままで見えていなかったものが見えたこと。新たな気付きを得て充実した1日となりました。

2日目〈11月12日(日)〉

大熊町・富岡町・楢葉町フィールドワーク

被災した町のいまを巡り、復興の姿を知る

2日目はフィールドワークからスタート。大熊町、富岡町、楢葉町の3エリアにわかれ、ガイドとともに町歩きをしながら学びを深めます。取材班が同行したのは楢葉町チーム。「一般社団法人ならはみらい」の平山将士さんにお話しを伺いながら、まちづくりが進むエリアを視察しました。

全町避難を経験した楢葉町は、震災から約4年半後の2015年9月にすべての避難指示が解除され、復興へ向けて新たなスタートを切りました。診療所のオープン、小中学校の再開、災害公営住宅の完成、高速道路の開通など、生活のための環境整備が進み、現在はハード面での復興はほぼ完了した段階にあります。

生徒たちは、住居、教育、医療など住民の生活の場をひとつずつ歩いて回り、「思っていたよりも復興が進んでいた」と町の姿を肌で感じ取った様子。しかし平山さんは、人と人のつながり、町のにぎわいといった目に見えない課題が内包されていると話します。

2018年にオープンした「みんなの交流館 ならはCANvas」は、楢葉町に関わる人びとが何度も話し合い、“こころの復興”を目指して造られた交流の場。まるで“みんなの家”のようで、目の前にある商業施設で買い物ついでにふらっと立ち寄るもよし、友達と待ち合わせするもよし、デスクスペースでテレワークや自習をするもよし。大型の窓を開け放し、屋内外を一体にできるスペースではイベントも行われているようです。

地域の人びとが交流しながら支えあう様子に、復興に向けて努力し続ける人間の強さを感じたと生徒たちは語ってくれました。

四倉漁港

数々の困難を乗り越えて、本格化する福島漁業のいま

つぎに立ち寄ったのはいわき市にある四倉漁港。いわき市の沖合に位置する常磐沖は、親潮と黒潮がぶつかる潮目の海であり、プランクトンが多く発生する豊かな漁場として知られ、「常磐もの」とよばれる魚は東京の市場でも高く評価されてきました。

しかし震災後はがれきの撤去に追われ、原発事故の影響で、操業の自粛を余儀なくされました。震災翌年の2012年6月には漁法や魚種、海域を限定した「試験操業」がはじまり、国の基準より厳しい自主基準を設けながら、少しずつ出荷を行ってきました。

試験操業は2022年に終了し、2023年現在は本格操業に向けて再び大きく歩み出しているところ。水揚げ日数や引網回数を増やし、2027年には震災前比5割の生産量回復を目指して取り組んでいます。

生徒から、ALPS処理水の海洋放出の影響について質問が飛ぶと、「今回は応援ムードがあり、風評の影響は感じていません。安心安全のための自主検査は継続し、本格操業に向けて取り組んでいきたい」と力強い答え。漁業関係者から直接話を聞けて、生徒たちも強い想いを抱いた様子でした。

いわき・ら・ら・ミュウ

自分たちが伝えたい『未来宣言』のメッセージ

旅の最終目的地「いわき・ら・ら・ミュウ」では、この2日間で学んだこと・感じたことを言葉にまとめる「未来宣言」が発表されました。

生徒の声

―復興は進んでいて、福島で明るく前向きに頑張っている人たちがいることを知れた。私たちも自分の町に帰ったら、学校の友達や家族に、福島の魅力を伝えていきたい

―復興は国の政策や支援金だけでは補えきれない。足りないところを補えるのは「人の温かさ」だと思う。さまざまな人に支えられて生きている私たち学生は人の温かさを知っている。それを生かして福島のことを伝えていきたい

生徒たちは全員の声に耳を傾けながら、熱い想いを胸に、発表を終えました。最後に復興庁の大曲英男参事官補佐からこのツアーの締めくくりとして生徒たちに向けてメッセージが送られました。

「これから先AIが普及すれば、簡単に答えが返ってくる時代になると思います。でもそれが正しいのかどうかは、実際自分自身に知見がないと判断できません。今回のツアーで現場に行って、いろんな人に話を聞いて、自分自身で理解したことや体験したことを大事にして、ぜひ周りの人に伝えてほしいです。みなさんひとりひとりがインフルエンサーだと私は思っています。ぜひ福島の復興のために情報発信をしていってください」

こうして2日間の全行程は終了。会場となった、福島の海産物や土産品が揃う「いわき・ら・ら・ミュウ」では、生徒たちはバスに戻る最後の時間まで買い物やグルメを楽しみ、帰路へ着きました。

生徒の声

―とても考えさせられる2日間となりました。正しい知識を身につければその分新しいことも見えてくるし、さまざまな視点から見ることでそれに対する考えも変わってくる。機会があればまた足を運んでいろんなところをゆっくり見たいです

―このツアーに参加し、人生の糧となる経験ができたことをうれしく思います。自分だけではなかなか体験できないことに触れる機会をいただき感謝しています

これから社会に出ていく若い世代にとって、今回得た学びは何事にも代えがたいもの。今後も被災地の復興を見届け、発展に貢献してくれることを願わずにはいられません。

旅のこぼれ話

2日間でたくさんの「福島」を巡った生徒たち。同世代が全国から集まり、意見を交換しながら学びを深めた旅は、とても充実したものとなりました。バス車内で行われた福島クイズ、体育祭並みに盛り上がったサッカー、アンコウの吊るし切りパフォーマンス、福島のおいしい海鮮をみんなで焼いたBBQ…「福島はとても楽しくて、おいしいところです!」と目を輝かせていたのが印象的でした。

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