Hand in Handreport.70

風評の払拭にむけて実際に現地に訪れて見たこと聞いたことを、分かりやすく伝えるレポートです。

インタビュー2024.01.26

たくさんの愛が存続危機を救った 松川浦の癒しの旅館「かんのや」

諸橋沙夏さんと旅館かんのやの主人管野拓雄さん

日本百景にも選ばれる福島県相馬市松川浦。小さな島が点々と浮かぶ波が穏やかな干潟はまるで鏡のように空や小島群を映し出します。キラキラとした光が水面に輝く幻想的な景色に目を奪われます。

福島県の沿岸部を代表するこの景勝地を訪れる人たちのために、松川浦地区には多くの旅館や民宿があります。今回、女性アイドルグループ「=LOVE(イコールラブ)」のメンバーで、福島県いわき市出身の諸橋沙夏さんが取材したのは、観光客にも地元の人にも「憩いの場所」となっている旅館「かんのや」です。幾度もの災害を乗り越えてきた旅館の主人・管野拓雄さんの思いに迫ります。

旅館「かんのや」の看板写真

管野さん「うちの旅館には板前がいません」
諸橋さん「え!では誰が料理を作っているのですか?」
管野さん「女将が料理を作っています。その女将が作る『ホッキ飯』が人気です」

女将とは管野さんの妻・光江さん。夫婦二人三脚で先代から受け継いだ旅館を守り続けてきました。新館と本館合わせて客室が14室、100畳の大広間を含む2つの宴会場がありますが、光江さんがほぼすべての料理を手掛けています。地元の漁港で水揚げされた魚介類が中心で、特に人気を集めているのがホッキ飯です。

「味付けは目分量でレシピはありません。女将の感性で味付けをしています」と話す管野さん。貝類の中でも大型のホッキ貝は手のひらほどのサイズがあり、肉厚なプリプリの身が特徴です。大きな身を醤油やみりんと一緒に炊き込んで作りますが、貝を捌いたときにでる貝汁にも旨味がたっぷりと詰まっています。新鮮なホッキ貝がすぐに手に入る地元だからこそ生まれた味で、女将独自の感性で煮汁を調合して炊き上げたホッキ飯は、一口目から感動もの。ふっくらと柔らかい身と優しい甘みがしみ込んだご飯は一度食べたら忘れられない味です。

女将独自の感性で煮汁を調合して炊き上げたホッキ飯の写真。

ホッキ貝の産地は全国に数多あり、相馬市もその一つ。東日本大震災以前は漁港単位の水揚げ量で日本一を誇っていました。

その味も風光明媚な景色も東日本大震災が奪い去ってしまいます。「津波で1階は全て海水に浸かってしまいました。3階と4階にある客室は無事でしたが、調理場やボイラーなど大事なものは全て1階にあったのです」

当時、働き盛りだった管野さんは「まだまだ50代、直せば元に戻る!」と奮起し、震災からわずか4か月後の2011年8月に旅館を再オープンさせました。観光客が激減する一方で、多くの人が集まることのできる旅館は、地元の人たちにとって「寄り合いの場」となる大切な存在でした。

訪れる人をいつもニコニコして迎え誰にでも優しく話しかける管野さんの様子

「『宴会場を再開してもらわないと困るよ。集まってお酒を飲む場所がないから』と言われ、必死で直しました」と、管野さんは振り返ります。地震と津波で壊れた建物のガレキ撤去や船の修復に日々励んでいた地元の人たちは、作業が終わった後、かんのやに集いました。女将が作るホッキ飯だけではなく、地元の人を引き付ける魅力があったからです。それは、他にはないアットホームな雰囲気です。訪れる人をいつもニコニコして迎え、誰にでも優しく話しかける主人の管野さんは、癒やしの存在でした。復興が進むにつれ、女将と管野さんが作り出す旅館の魅力を求めて、県外からの観光客も徐々に戻ってきました。

しかし、その後、度重なる災害が襲います。「寝ていたら、ドン!と大きな揺れを感じました。驚いて飛び起きたときには足元にタンスが倒れていました」

地震後の崩壊した旅館の様子

2022年3月16日深夜に福島県沖で発生した地震です。福島県と宮城県で最大震度6強を観測。この年の地震は2011年と違って3階や4階にある客室部分の被害が大きく、絶望の淵に追い込むものでした。

「地震の後に旅館を見に行くと、客室は天井が落ちていて足の踏み場もないくらい壊れていました。その状況に私も妻も茫然自失となりました。めちゃくちゃになった旅館をみて言葉を失ってしまいました。その時、はっきりとは言いませんでしたが、私も妻もお互いの心の中の声が聞こえたのです。『これで廃業か』と」

相馬市はその前年にも震度6強の地震に襲われていました。それだけではなく、2019年の豪雨被害とその後の新型コロナウイルスのまん延で、経営はただでさえ厳しい状況に陥っていたのです。管野さん夫婦はともに60歳を過ぎていました。

旅館のフロントに大切に飾られている、かつて宿泊してくれた人たちからの励ましの寄せ書きの様子

当時を思い出し、辛い表情でインタビューに答えていた管野さんに「そんな状況の中で、どうして旅館を再建しようと思ったのですか?」と聞くと、ニコニコした笑顔に戻り、あるエピソードを教えてくれました。

「地震で被害を受けたときにテレビの取材を受けました。それが全国で放送されたあと、かつて宿泊してくれた人たちから励ましの沢山の電話や寄せ書きが届いたのです」。その寄せ書きは旅館のフロントに大切に飾られています。

届いた数々のメッセージには、励ましだけではなく、旅館への愛情が溢れていました。思いを受け取った管野さんは、「家族でもう一度やりなおそう」と決心しました。そして、大きな被害を受けた客室や調理場を修理し、2023年6月に営業を再開させたのです。

再出発した旅館の様子

60歳を越えての再出発に不安もありますが、強い味方もいます。30代の次男・禎美さんの存在です。

「頼りない息子ですが、後を継いでくれると言ってくれています。旅館の再建にかかった借金を返し終えるまでは頑張り、継がせてあげられるようにしたいのです」

そのことを直接息子さん伝えたことはないそうです。ですが、苦難に直面するたびに何度も何度も奮起した父親の姿を見て、その思いはきっと届いているのではないでしょうか。

旅館かんのやの看板の前での諸橋沙夏さんと管野さん夫婦の集合写真

最後にこの記事を読んでくれている人へのメッセージを伺いました。

「うちの宣伝は必要ないです。うちの旅館じゃなくていいので、松川浦に来てほしいです。ここの辺りの宿はそれぞれ工夫した料理を出しています。魚介類は特においしい。いろいろな魅力を味わってもらいたいのです」

PRESENT

2024年1月26日(金)放送分のプレゼントは、今回取材をさせていただいた「齋春商店」の「おまかせ復興支援セット」です。3名様にプレゼントします。
「おまかせ復興支援セット」は三陸・常磐ものを中心とした新鮮な魚介類の詰め合わせギフト。その日店主が厳選した活きのよいものをお届けしますので、内容は届いてからのお楽しみです。

このページのトップにあるダイジェスト動画の中で、レポーターの諸橋沙夏さんが取材の感想として語った言葉が応募キーワードです。動画を視聴して、番組ホームページのメールフォームからご応募ください。

本商品は、TOKYO FMで放送中の「Hand in Hand」内で応募プレゼントとして紹介されているものです。
本サイトからの応募はできませんので、希望される方はこちらよりご応募ください。
なお、応募締切は 2024年2月2日(金)となります。

ラジオ放送情報

「Hand in Hand」は、平日朝6時から生放送でお届けするラジオ番組「ONE MORNING」内で毎週金曜の朝8時10分ごろに放送。TOKYO FM/JFN36局ネットにてお聴きいただけます。番組を聴き逃した方は、ラジオ番組を無料で聴くことができるアプリ「radiko」のタイムフリーでお楽しみください。
※タイムフリーは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことのできる機能です。

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