東日本大震災に伴う原発事故で全町避難を余儀なくされ、2022年8月30日に帰還困難区域の一部で避難指示が解除されるまでの11年5ヶ月、人が住むことができなかった福島県双葉町。町内の居住者は95人(2023年9月末時点)にとどまり、なかなか帰町がすすまないことが課題になっています。
その双葉町に「いつかは戻りたい」と心に決め、震災後の町の様子を記録し続けている人がいます。千葉県在住の映像クリエイターの官林春奈さんです。
避難先での生活が定着し、双葉町に戻ることを諦めざるをえない人が多い中、官林さんはなぜ双葉町に戻りたいと考えているのでしょうか。そして、向き合い続けてきた震災後の双葉町の姿とは一体どんなものだったのでしょうか。タレントのユージさんが取材しました。
この日取材のため訪れたのは、官林さんの実家跡地です。周囲に家屋はなく、緑が生い茂った更地になっています。元々は母屋と事務所兼自宅、作業小屋の3軒が建っていましたが、2020年に取り壊されました。
官林さんの息子・誠吾くん(10歳)は、「解体された家には1度だけ行ったことがあります。とても大きくて、素敵で、綺麗なおうちでした。住んでみたいなと思っていました」と話します。
思い出がつまった家を何とか残すことはできないか、家族会議を重ねましたが、地震の影響で家屋にところどころヒビが入っていたこと、取り壊し費用が補助されるタイムリミットが迫っていたこともあり、取り壊すことを決めました。
「昔は家々が立ち並んでいてここから駅が見えなかったけれど、今は駅まで見渡せてしまう。以前よりも駅が近く感じます」。そう話す官林さんの横顔からは、ふるさとが変わってしまった寂しさが滲んでいます。
官林さんは、双葉町で生まれ育ち、18歳の時に進学のため上京。そのまま関東で就職しました。2013年、東日本大震災と原発事故が発生したのは、結婚してすでに千葉で暮らしている時でした。
福島第一原子力発電所が立地する双葉町では、およそ7000人いた全町民に避難指示が出され、官林さんの生まれ故郷は”誰も住むことができない”町になりました。
「震災が起きてから、報道カメラマンや世界的な写真家、映画監督など、”誰かに見せる”ために撮影する人が、たくさん双葉町を訪れました。でもちょっと町外れにある自分の実家の周りの風景は、人が住まなくなったら誰の記憶にも残らなくなってしまうと思ったんです」
危機感を感じた官林さんは、もともと父親から譲り受けていたNIKONの一眼レフカメラを手に取り、自分と家族のためだけに、撮影を始めました。
「写真を撮り始めた直後は、変化がほとんどなくて、春夏秋冬が移り変わるだけでした。でも、その年のこの季節はどんなだったんだろうと後から見返すことができるようにしたいと思って、記録に残すことにしました」
その活動を知人に話したところ、「せっかくなら写真展を開いてみない?」と誘われたことがきっかけになり、官林さんは千葉で写真展を開きました。
「訪れた人に関心をもってもらったことで、より一層記憶や記録に残すことがとても大事なことだと思うようになりました」
写真を人に見てもらう機会が増えるにつれ、環境音や人の声も残すことができるようにしたいと思うようになった官林さんは、映像も本格的に学び始め、映像クリエイターとしての活動を始めます。その後現在に至るまで、毎月必ず福島を訪れては、その様子を撮影し続けています。
「千葉から福島へ毎月来るのは費用もかかるし、大変です。でも、だからこそ自分の意思で帰ってくることができているし、来なきゃいけないな、と思っているような気もします」と官林さんは話します。
活動を続けているうちに、町の変化も感じるようになりました。
「特に震災後2~3年は色々な変化が現れるようになりました。大きな猪が家の中で死んでいたり、動物の骨が落ちていたりすることもありました。ついこの間まで頑張って建っていた家屋が、崩壊していることもありました」
官林さんはそんな、ふるさとの双葉町が変わっていく姿と向き合い続けました。そして、考えてもらうきっかけになれば、と、見た人に問いかけるような作品も撮影してきました。
「例えば、私たちが住んでいた頃は全く実らなかったラ・フランスの木が、震災後、ポツンと実っていたことがありました。私たち家族もそこでようやくその木がラ・フランスの木だったんだと知ったんです。これはいったい何の力だろう…と思って、作品にしました」
官林さんは、映像というメディアを通してだけではなく、トークセッションを通して元双葉町民の声を聴くプロジェクト「VOICE for FUTABA」のメンバーとしても活動しています。その中で、双葉町が抱える課題も感じていると話します。
「双葉町に戻りたいと思っている人は意外といるけれど、住む場所がないのが現状です。例えば双葉町に生活基盤を置かなくても二拠点生活ができる場所があればより活性化していくのではないかと思っています」
官林さんも、町営住宅の抽選に参加しましたが、落選してしまいました。「落選が続くことで、双葉町に住みたいというモチベーションも下がってしまうのがもったいないな、と思います」
避難指示解除から1年が経った今でも、まだまだ”双葉町で暮らす”ことが難しい現状があります。それでも、官林さんはやっぱり双葉町にいつか戻りたいと考えています。
「双葉町は自分のルーツで、自分を形成してくれた場所。自然の音しか聞こえないこの環境で育ったことで感性も豊かになりました。この実家跡地を活動拠点にして、子ども達にも双葉町の魅力を伝えていけたらいいなと思っています。大それたことはできなくてもいいから、自分自身の暮らしを発信していきたいです」
そんな官林さんの思いは家族にも伝わっています。千葉で生まれ育った夫の直樹さんは、「震災以降の双葉町との関わりをすぐそばで見守ってきて、自分にも仲間ができてきて、活動に参加することで、双葉町で暮らすということが”自分事”になりました。将来は千葉と福島を行き来できるような生活ができればいいなと思います」と話します。息子の誠吾くんも、「双葉町にみんなと遊べる大きな公園や、アパートやマンションがあったらいいな。賑やかな街になってほしいです」とワクワクした表情で話していました。
人の営みが戻ってから1年1ヶ月。双葉町で暮らし、活気が戻ってくるその日を心待ちにして、官林さんは双葉町の今を、記録し続けています。
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