Hand in Handレポート「花と酪農、葛尾村に響く復興の足音」

全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。

今回のテーマは、「花と酪農、葛尾村に響く復興の足音」。
福島県の浜通り地方、標高が高い阿武隈高地(あぶくまこうち)に位置する葛尾村(かつらおむら)は、東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故により、避難指示が出された自治体の一つです。
事故後、全村民が村外に避難しましたが、2016年6月、帰還困難区域を除き避難指示解除となり、現在、3割程度の方が村に戻って生活を再開しています。

そんな葛尾村の新しい特産品として、胡蝶蘭(こちょうらん)を育てる花き農家と、営農を再開した酪農家の3代目をご紹介します。

葛尾村地図

震災前は酪農、畜産といった農業が盛んだった葛尾村ですが、原発事故による避難指示の解除後、どう農業を再開していくかが課題となっていました。

ほかの農産物に比べて、風評被害の影響を受けにくいということで、浪江町(なみえまち)のトルコギキョウや、前回のレポートでもお伝えした川俣町(かわまたまち)のアンスリウムなど、震災後の福島県東部の各地では、花の栽培が盛んに行われています。そのうちの一つが葛尾村の胡蝶蘭です。

2017年に、葛尾村の農家が農業法人「かつらお胡蝶蘭合同会社」を設立し、胡蝶蘭の栽培をはじめました。商品名は「ホープホワイト(hope white)」。
2018年に復興大臣賞を受賞した他、​花の一大産地として名高い埼玉県鴻巣市(こうのすし)で毎年開催されている花き品評会においても、「平成31年春季品評会」では埼玉県知事賞という栄誉ある賞を受賞しています。

当初、社員4人で始めた事業は、現在パート従業員を含め19人の規模となり、胡蝶蘭の生産・販売に取り組んでいます。

「かつらお胡蝶蘭合同会社」メンバーの栽培農家、杉下博澄(すぎしたひろすみ)さんに、お話を伺いました。

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胡蝶蘭を栽培しているビニールハウス
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荷造りされ、出荷を待つばかりの胡蝶蘭
  • 本当に、立派な胡蝶蘭ですね! ここに、どのくらいの胡蝶蘭があるんですか?

    今は300坪のハウスが2棟、600坪の面積で栽培してまして、年間でおよそ48,000~50,000株の胡蝶蘭の苗を管理してます。
    うちの場合ですと、胡蝶蘭の苗を台湾から仕入れていまして、仕入れた胡蝶蘭の苗をおよそ半年でこの鉢物に育て上げて出荷しています。

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Hand in Handパーソナリティー高橋万里恵さんと胡蝶蘭栽培農家・杉下博澄さん
  • こんなにたくさんのきれいな胡蝶蘭! 「ホープホワイト」という名前には、どんな思いを込められたんですか。

    もちろん、「ホープ」は希望、「ホワイト」は白です。 「かつらお胡蝶蘭合同会社」を立ち上げて、今年2021年1月で丸4年が経過しました。ここ葛尾村で、胡蝶蘭の栽培というのは初めての試みではあったんですが、自分たちの故郷に農業再生というアプローチの仕方で復興に寄与したいと、そういう思いから始めまして。まず、自分たちにとっての「希望」になりうるということ。また、お祝い事を中心に使っていただくようなお花ですので、贈られた方、手元に届いた方、それぞれの思いがあって、そこに「希望」というものを強く感じていただきたいという、そんな2つの理由から「ホープホワイト」という名前を付けています。

  • 贈った方とか、贈ってもらった方からはどんな声が届いていますか?

    やはり多く寄せられるお声というのは、葛尾村で育てられた胡蝶蘭はとても花が大きくて、見栄えのするものだと、そういう風に褒めていただくことが多いです。特に、ここは標高もありますし、東北の地ということで、夏場の温度管理に関しては、アドバンテージがあるんです。どういうことかって言うと、胡蝶蘭という花は、本来はしっかりと陽の光も当てて大きな花にしたいのですが、一方、夏場は暑さ対策のためにあえて遮光をしなければいけない。この遮光をする必要が他の南のほうの産地に比べると少なくてすむ分、ここではしっかりと陽の光を当てて育てることができます。結果、大振りで厚みのある花を育てやすいというのが、うちの強みではありますね。また、今までやったことのない胡蝶蘭栽培を始めたいという、事業そのものに関心を持ってお声を寄せていただく方もたくさんいらっしゃいます。

  • どうして葛尾村で胡蝶蘭の栽培をスタートさせようと思われたんですか?

    葛尾村は、避難区域ということで一時は住民が誰もいないような状態になりました。現在は解除されて、帰村者や、あるいは移住・定住という形で交流人口の増加なども考えていかなければいけない。そんな中で、従来の農業を再生させるという選択肢もあるにはありました。ですが、我々がこの事業を始めようとした当初は、やはり原発事故の影響、またそれに伴う風評による影響も総合的に加味しなければいけないような状況ではありました。「じゃあ、どういう形であれば、たくさんの方にこの地で作った生産物を受けいれてもらえるだろうか」と。こういう観点から、施設園芸という形で外的要因とは一線を画して、作物に適した環境で生育させるという営農の仕方ですね。花にはいろんな意味合いがありますので、自分たちの思いであったり、人の言葉。そういった思いを伝えるものを作っていきたい。それを、地場の産業・生業として定着させていきたいなという思いから花をということになりました。さらに、新しい営農スタイルという形で生業を確立していくのに、当然、しっかりとした安定した生計を立てられる形をとっていきたかったので、収益性の高いもの、高単価なものをという形で徐々に候補を絞っていって、この胡蝶蘭栽培に辿り着いたというのが経緯です。

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  • 事業をスタートされてからはどうでしたか。

    企業間贈答という形でのB to B(Business to Business)が主要なマーケットになりまして、去年の春先には目標とする収益ラインには辿り着いたんです。ですが、その直後コロナの影響が我々の業界にも強く及んで来ました。実際のところ、苦境に立たされた時期もありましたが、そこから再度立て直しをはかりまして、損失も当初想定していたよりは、何とか小さく抑える形に今年度は着地できそうですね。

  • ご実家は、ここ葛尾村で酪農をされていたそうですが、杉下さんご自身は実家を出られて、別の仕事に就いていらしたそうですね。

    葛尾村は自分の出身地ではあるんですが、ここで私自身が農業を営むという選択をするつもりは、もともとはなかったんですよ。震災当時は、別の業種ですね。一会社員として、外勤めをしておりました。住んでいるところも、近隣の田村市船引町(たむらしふねひきまち)にアパートを借りて生活をしていたんです。震災と原発事故による避難生活があったんですが、そのあたりから自分の生まれ故郷というものに立ち返って、考えることが多くなりまして…。ある冬の日にですね、村の様子を見に来たときに、住民が誰もいなくなってしまった中で、自分の生まれ育った家があったり、もともと肥育農家だったので、肉牛を飼っていた牛舎なんかもあったんですが。そういったものが朽ち果てていくという様子をまざまざと見せつけられた時に、「この状態を自分自身で承服できない」という、そういった思いが強くなりまして。そこから改めて、「自分にこの地でできることは何かないか」と考えると、「じゃあ、やっぱりその農業再生というかたちで貢献したい」と。まあ、そこから始まってますね。自分の故郷でもう一度生活をするという環境を整えるところに、足跡を残したいという、その思いが根底にあります。

現在19人のスタッフが胡蝶蘭栽培に取り組む「かつらお胡蝶蘭合同会社」。大学生のインターンを受け入れ、「ホープホワイト」をPRする企画を一緒に考えたり、海外からの特定技能実習生も受け入れているそうです。また、胡蝶蘭の栽培ハウス見学もできるそうです。

大ぶりで花びらに張りがある見事な胡蝶蘭は、葛尾村のふるさと納税の返礼品にもなっています。「かつらお胡蝶蘭合同会社」ウェブサイトからも購入できます。ぜひチェックしてみてください。

かつらお胡蝶蘭「ホープホワイト」
葛尾村ふるさと納税のご案内

さて、かわっては酪農牧場「佐久間牧場」の3代目、佐久間哲次(さくまてつじ)さんのお話です。

東日本大震災前、「佐久間牧場」は約130頭を飼育する大規模酪農家でしたが、原発事故によって避難を余儀なくされ、避難指示が解除された2016年、村に戻って、酪農を再開しました。
ここまでの道のり、そしてこれからについて、佐久間さんに伺いました。

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「佐久間牧場」3代目・佐久間哲次さんと高橋万里恵さん
  • 震災の前から、ずっと酪農に携わっていらしたんですよね。それが、震災に遭われて……。その時は、どんな様子だったんですか。

    3月11日に地震があって、震度5強だったんですけど、地震の影響はほぼ無くて。その後、原発事故がおきて、全村避難になって、牛はここにおいたまま、村の人たちと一緒に避難をしたんです。その後は、牛を連れて行くところがなかったので、福島市にある体育館で生活しながら、牛の世話をしにここに通って来てたんですけど、6月の終わりまでに仔牛も親牛もすべて行き先を決めて。それで、震災の年の2011年の6月いっぱいでここを離れました。それから、ずっと仮設住宅で生活をしていました。

  • そして、事故後およそ5年後に再出発されることになるんですね。

    2016年の6月に村は一部の地域を除いて避難指示が解除されたので、「もし今後、牛を飼ったときのために」と思って、牛のエサになるようなとうもろこしとか牧草の試験栽培をやりながらいたんですけど、同じ年の12月にはこの地域でも原乳の出荷制限が解除になって、それなら「じゃあ、牛を飼う準備をしよう」と。
    原発の事故の前からある牛舎を使う場合は、その牛舎をほぼ水洗いするくらいのことをして、それで線量を測って、国の基準を3回合格しないと牛を入れてはだめ、というような基準があったので、それをクリアするために約半年くらいかかって。そして、やっと「牛を入れていいよ」というOKが来たんですけど、それがちょうど2018年の7月の終わりくらいでした。その後、9月に事故後初めて、7年半ぶりにここに8頭だけもどってきて。それから搾った牛乳の放射性物質の移行検査というのを、約4か月間、そのまま牛乳を捨てながらやりました。ND(Not Detected:不検出)を続けるというのが出荷制限の解除のルールでもあるので、それを12月いっぱいまでずっとやっていて。で、12月の終わりだったと思うんですけど、OKになったので、2019年の1月11日からここで牛乳の出荷が再開することができたということですね。

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酪農牧場「佐久間牧場」の牛の様子
  • 本当に長い期間ですよね…。その間、必ずここに戻ってきて再開するんだという思いに揺らぎはなかったですか。

    いやあ、それはありましたよ。いつ解除されるかも見通しがついていないままに、牛と接していない生活というのが6年も7年もなったので。それこそ「今さら再開して本当にできるのかな」という思いもずっと持ちつつでした。ただ、この牛舎もそうなんですけど、自分たち家族で手作りして建てた牛舎で、あとは畑とかもやっぱり苦労してウチのじいちゃんが戦後に開拓で入って、開墾した場所だったので、やっぱり「そういうものをそう簡単に捨ててもいいのか」という思いがありました。まあウチの父親からは、「別にここの土地に縛られる必要はない」という話はされてたんですけど、でもうまくいくにしろいかないにしろ、「チャレンジしないで終わるよりは、チャレンジしたいな」という思いもあって。あとはやっぱり自分たち、この40代の人間がここを捨てたら、あとはもうそれこそ今帰村しているのは、ウチの父親の世代の60代後半から70代半ばの人たちがほとんどなので、その人たちに村を背負えなんていっても、これはなかなか酷な話なので。やっぱり自分らがここでやっていくのは大変なんですけど、率先してやっていって。で、周りの人たちがそれを見て、何かを感じてくれて、戻ってきてくれる人たちが増えてくれれば、それはそれで支えにもなるのかなと。勝手な思いですけど。

放し飼いでのびのびと飼育されている牛たち。酪農を再開した時はわずか8頭だったのが、今はなんと約180頭と、震災前の頭数をはるかに超えています。

今はさらに、飼料などを育てる農地を開拓中の佐久間さん。将来はチーズなどの乳製品も手掛けてみたいとお話しされていました。

  • 佐久間さんが一番大切にされている原乳についても、嬉しい出来事があったのだそうですね。

    まあ、美味しい牛乳を作るのに努力しているので、みんなに「美味しい!」と思ってもらえることを信じて毎日世話をしているんですけど。福島県のJAグループで乳質改善コンクールというのがありまして、それで最優秀賞をとらせてもらって。実は、去年再開して、2年目も最優秀賞、2年連続でとらせてもらったんです。なので、一応美味しい牛乳だと信じて……(笑)。

尾村では、佐久間さんの牧場をはじめ、5月頃にはクローバーの仲間であるクリムゾンクローバーの真っ赤な花が一面に咲き誇る景観が、村のあちこちで見ることができるそうです。開花情報などは、村の復興交流館「あぜりあ」でも発信しています。是非こちらの情報もチェックしてみてください。

葛尾村の観光情報

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「葛尾の復興の花に」と希望が込められたクリムゾンクローバー
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葛尾村 復興交流館「あぜりあ」