Hand in Handレポート「までいの村・飯舘で牛と生きることを選んだひとたち」

全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。
「あれから10年、復興が進む福島を行く」と題して、2021年3月に東日本大震災から10年目を迎える福島県の「今」をお伝えしています。

今回は「までいの村・飯舘で牛と生きることを選んだひとたち」。
かつてブランド牛の「飯舘牛」で知られた福島県飯舘村(いいたてむら)。原発事故の影響で、村の全域が計画的避難区域に指定され、全村避難となりました。2017年3月に一部地域を除いて避難指示は解除。2020年11月現在3割弱の村民が村に戻るなど、復興への歩みが続いています。

ちなみに、「までい」というのは、「手間暇を惜しまず」「心を込めて」「丁寧に」といった意味の言葉で、飯舘村の村民の気質を指す言葉でもあります。

今回は、そんな飯舘村で酪農、そして畜産を再開した方に、お話を伺います。

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飯舘村にはそれまで乳牛を育てる12軒の酪農家がいたものの、原発事故により全員が村外に避難。他の地域で事業を続けるなどしていましたが、2019年、8年4カ月ぶりに飯舘で酪農が再開されました。それが、復興牧場「フェリスラテ」の“飯舘育成牧場”。原発事故で避難を余儀なくされた酪農家5人が立ち上げました。

「フェリスラテ」とは、スペイン語の「幸福」とイタリア語の「牛乳」を組み合わせた造語。
フェリスラテは、現在およそ500頭の牛を育て、毎日15トンにおよぶ搾乳・生乳出荷量という規模を誇る、福島県随一、そして東北でも5本の指に入るメガファームです。
代表の田中一正(たなか かずまさ)さんは、東京都出身。2001年に酪農家を目指して飯舘村で新規就農しました。震災のあった2011年は、ちょうど就農10年目の年で、乳牛50頭を飼育、牧場経営が軌道に乗ったころでした。
そんな田中さんに、先ずは震災当時、酪農家が直面した状況について伺いました。

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復興牧場「フェリスラテ」の飯舘育成牧場牛舎
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フェリスラテ代表・田中一正さんとHand in Handパーソナリティー高橋万里恵さん
● フェリスラテ代表・田中一正さんのお話
  • どれくらい牛舎があるんですか。

    4つの牛舎をお借りしていて、そこにぜんぶ乳牛が入っています。

  • 白黒模様のたくさんの乳牛がいますが、大きいですね。

    この牛たちは、あと3ヶ月ぐらいで初めて出産予定です。来月の頭には、福島市の牧場の方に送り届けて出産し、乳を出す「乳牛」になります。そして、産まれたちびっこを飯舘で引き受けて、この隣の牛舎で大きく育てて、妊娠させて、また福島に送って…っていうサイクルですね。

  • 震災が発生したときは、どんな状況だったんですか。

    震災当時、飯舘村には12軒の酪農家さん仲間がいて。全村避難という指示を受けて、「牛いるよね」「どうするの?」ってなりました。びっくりして早く避難したいっていう人もいれば、そうじゃない人、いろいろいたんですが、「僕はどう」「私はどう」っていうのは止めにして、「みんなが同じ方向を向いて避難する形で取り組みましょう」という話し合いをしました。牛を処分したり、人に預けたり、引き取ってもらったりしました。私の場合は、最後の子牛を5月の中頃によそ様に預けました。この場合は「元気でな」で良いんですけど、そうじゃない牛は、はっきり言ってしまえば屠場に送るわけですよね。うちの場合は、だいたい半分ぐらい屠場に出しました。僕が避難するために犠牲になったというのは、切ないですよね…。
    酪農という産業は、牛が1日でも長く生きて、そして1日でも多く牛乳を搾ることができれば、僕も儲かるので、牛と人間が共生していける、お互い共に進んでいける。それがすごく魅力的だと思ってるんですよ。いろんな畜産がある中で、酪農に魅力を持ち続けてきているので、これからもずっと罪悪感を感じ続けながら生きてくんだろうなあって……。

パートナーである牛たちを処分しなければならなかった無念さは消えることはない…。当時を振り返ってそう話す田中さんですが、その後も福島県や山形県で酪農に関わる仕事を続け、2012年に福島市に復興牧場第一弾となる「ミネロファーム」、2014年にはより規模の大きい「フェリスラテ」を仲間とともに開設。そして2019年、8年ぶりに飯舘村で育成牧場を再開しました。この育成牧場は、震災前には村特産の和牛「飯舘牛」の肥育拠点「畜産技術センター」があった所で、村の畜産の象徴とも言える場所です。

● フェリスラテ代表・田中一正さんのお話
  • いったんは避難せざるを得なかった飯舘村で酪農を再開する、その思いの背景にあるものは何ですか?

    やっぱり「飯舘で一生かけて自分のやりたいことやって、骨を埋めよう」っていう。それが、山形にいったん避難して、福島に戻ってきた最大の理由です。避難した我々は一回リセットがかかったようなもので、割り切ればある程度は良しっていうところはあります。(それに引き換え、)やっぱりあの時一番大変だったのは、避難指示が出ない距離にあった酪農家さんです。牛乳は出荷できないし、目と鼻の先は避難指示地域になっているし、心の中は不安でいっぱいだったと思うんです。そういう人たちともう一回、苦楽を共にしたいよねと。お互い切ない思いをしたり、苦労しているっていうのは、もうこれは言わなくてもわかる話なので。そういう人たちともう一度、いつの日か、肩を並べて酒の一つも飲みたい、そして、今までやってきたことを継続しようっていう……。

  • 今後、飯舘村での事業展開が、こういう風になってくといいなといった展望はありますか?

    フェリスラテとしては農業のブランド化、加工品などの消費者への直接販売といった6次化も手掛けたいと思っています。例えば、ブラウンスイス種というちょっと毛色の違うような乳牛を飯舘で飼って、飯舘の道の駅とかでアイスクリームとかの乳製品、加工品なんかをうまく提供できればいいなって。誰が見ても「デタラメなことはしていないね」っていう、顔の見えるオープンな生産を手がけて、村に貢献したいっていうか。自分たちのやりたいことが結局、村にとってなんぼかでも貢献になってくれれば、ありがたいよねって言う感じです。

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飯舘村のフェリスラテ育成牧場では、与える飼料や飼育環境を厳重に管理して、生後2カ月のホルスタインの雌牛を20カ月程度育成した後、福島市の牧場へ移し、原乳を生産しています。原乳の放射性物質については厳しい基準値が設けられ、登録検査機関などが検査、安全を確認して出荷されていますが、これまで基準値を超えたことは一度もありません。
「いつかは飯舘の道の駅でアイスクリームなどを提供したい」というお話もありましたが、フェリスラテで丹精込めて育てられた牛たちから絞った牛乳で作るアイスクリーム。早く食べたいですね。

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いいたて村の道の駅「までい館」
建物中央の天井部分は「花かご」をイメージし、咲き誇る生花で飾られている

さて、かわっては「飯舘牛」のブランドの再興に向けて取り組む畜産農家さんのお話です。

2019年、飯舘村で育てた肉用牛の出荷を8年7か月ぶりに実現させたのが、肥育農家・小林稔(こばやし みのる)さんです。牛たちのつぶらな瞳に見つめられながら、小林さんにお話を伺いました。

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肥育農家・小林稔さん
● 肥育農家・小林稔さんのお話
  • たくさん草を食べていますね。何歳くらいですか?

    何か月だろう、11か12カ月になってるな。

  • 1年でこんなに大きくなるんですね。品種は何ですか?

    ここにいるのはぜんぶ黒毛和牛です。

  • 「飯舘牛」っていうのはだいたい黒毛なんですか?

    黒毛ですね。他の牛は見たことないです。

  • 震災が発生した時、そしてその後はどんな状況でしたか。

    原発の事故で全てが駄目になった時は、せめて牛をどっかでできないかと思って、避難できる場所を探しました。肥育牛(ひいくぎゅう)を宮城に持っていって、繁殖牛(はんしょくぎゅう)はまだこちら飯舘にもいたんです。2011年に牛を連れてって、2012年からは喜多方に行って、酒米作りを始めたんです。これは飯舘の「おこし酒」の復活のために。そもそも飯舘に戻れるのかなっていう方が大きかったから。まさか、土をはぎ取る形で除染をすると思わなかったから。
    戻ってくるのはすぐ決めましたけど、全て住宅とか解体してしまったから、家を作ったり牛舎を作ったり。避難指示解除と同時に戻ることはなかったですけど、1~2年経って、ここに来たっていうことです。

震災前は230軒あった育牛農家。現在(2020年11月)は8軒の繁殖農家が再開していますが、子牛を育てて出荷するまで育てる肥育農家は小林さんが初めてでした。再開にあたっては、放射能汚染の可能性を排除するため牛舎は建て替え、牛に飲ませる水はボーリングした地下水を使っています。さらに隣家の敷地の林も、木の葉がエサに混じらないよう許可を得て伐採し、更地にしました。

  • 2019年に飯舘村で育てた肉用牛の出荷を再開されましたが、放射線の対策等どのようなことをされていますか。

    水はこうやって地下水を掘って、お墨付きをもらってます。エサとなる配合飼料は、買ってますからこれも大丈夫です。あとは稲わらとか牧草も放射線量を測っていて、それで何の問題もないんです。ND(Not Detected (検出限界値未満))ですから。だから、安全にはかなり注意しています。

  • 生育してお肉になったものだけではなくて、飼料や水、全てチェックしたものを牛に与えているいうことをぜひ皆さんに知って欲しいと思います。

    これは本当に震災前と比べたら格段に違います。そこら辺の意識も。「安全なものを牛に与えて、安全な牛肉を作る」という、この気持ちね。やっぱり責任というものは重いかなと。失敗できませんから。こっちで牛を始めてから、初出荷するまで、取材は一切受けなかったです。下手に宣伝して、もしダメだったら、俺一人だけの問題じゃないから。全体のイメージになるからね。

  • 重い責任を感じて飯舘村での肥育を再開し、対応されてきたんですね。

    若い人はこういうリスクを負えないと思うんですね。俺らの年代だからできる話であって、「俺らが今できることをやっていれば、後に続く人たちも何かは考えてくれるかな」っていう淡い期待があってやっている部分もあります。

  • 初出荷はどうでしたか?

    郡山の市場に3頭持っていきました。評価は1頭がAの4で、あとはAの5。キロ単価は他の県から比べるとちょっと安かったですね。それは今でも同じですけど。最初は、飯舘で育てて出荷できたっていうだけで満足してましたけど、これからはちょっとね。採算性のことも考えながらやらないと、後に続きませんからね。でも、やっぱり故郷っていうのは、特別なものなんですよね。

今回は、黒や茶色、白黒、いろんな牛たちに会いました。酪農の田中さん、畜産の小林さん。
お二人とも苦労を重ねながら、飯舘村での事業を再開して、さらに軌道に乗せるための努力を続けてこられました。フェリスラテの原乳、小林さんが育てる肉用牛、いずれも農協を通じて「福島県産」として出荷されています。「フェリスラテ」の6次化商品や「飯舘牛」というブランド牛が店頭に並ぶ日が待ち遠しいですね。

飯舘村では、道の駅のオープンや農家レストランなども再開しています。花をシンボルにした復興拠点「いいたて村の道の駅までい館」では、飯舘村で営農再開した方が丹精込めて育てた野菜やトルコギキョウ、かすみ草、ストックなど四季折々の花、どぶろく特区として認定されている飯舘村の「どぶろく」や地酒など村の特産品を購入することができます。また、飯舘村産のお米を使った特製豚丼や手作りのナツハゼジャムがたっぷりかかったナツハゼソフトなど食事も楽しめます。ぜひ足を運んでみてください。

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福島県では、緊急時環境放射線モニタリング検査の充実に加え、産地が主体となった米の全量全袋検査など放射性物質の検査を綿密に実施し、その検査結果をホームページ等で公表しています。

  • 農林水産物のモニタリング検査件数及び結果の推移(福島県「ふくしま復興ステーション」)
    ※原乳では、東京電力福島第一原子力発電所事故当初に 50 ベクレル/kg を超過したものがみられましたが、2011年4月以降は全て 50ベクレル/kg 以下となっています。

牛肉を含む生産量が全国上位の11品目について、福島県の多彩な農林水産物を代表するものとして、「ふくしまの恵みイレブン」と命名し、販売促進を図っています。

福島県産品については、オンラインストア「ふくしまプライド。」から購入もできます。