Hand in Handレポート「災害と復興の記録と記憶をここに刻む ~東日本大震災・原子力災害伝承館~」

全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。
「あれから10年、復興が進む福島を行く」と題して、来年3月に東日本大震災から10年目を迎える福島県の「今」をお伝えしています。

今回は、「災害の記録と記憶をここに刻む~東日本大震災・原子力災害伝承館」と題し、2020年9月に開館したばかりの施設の様子をレポートします。

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2020年春に町の一部が避難指示解除になった双葉町は、東京電力福島第一原子力発電所が立地する町の一つです。避難指示は一部解除されたものの、未だ町民は帰還できていない状況が続いています。現在は、双葉駅西側の地区を中心として「住む拠点」の整備を進めていて、2022年春の住民帰還へ向けて、復興を進めているところです。
この「東日本大震災・原子力災害伝承館」がある中野地区は、「復興産業拠点」として、町の復興の先駆けとなる「働く拠点」や、福島復興祈念公園の整備も進められているエリアです。

福島県は、震災による地震と津波に加えて、東京電力福島第一原子力発電所の事故で大きな被害を受け、今もまだ復興の途上にあります。この未曾有の大規模複合災害の記憶を後世に伝え、そして復興に取り組む姿を国内外に発信することを目的に、2020年9月に開館したのが「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。
開館から約1か月半がたった、合同開所式の翌日には、来館者が2万人を突破するなど、話題の施設となっています。

2020年春に町の一部で避難指示が解除されたばかりの福島県双葉町。とはいえ住民の帰還はまだ先ということで、復興を進める関係者以外には、町に人影はほとんどありません。
そんな町の中を、JR常磐線の「双葉駅」からシャトルバスで約5分、車でなら常磐道の「常磐双葉インターチェンジ」から10分ほど走った場所に、突如現れる近代的な建造物が「東日本大震災・原子力災害伝承館」。町の佇まいとは対照的な建物の存在感が非常に印象的です。

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> 伝承館までのアクセス

この「東日本大震災・原子力災害伝承館」の館長を務めるのが、長崎大学原爆後障害医療研究所国際保健医療福祉学研究分野に所属の髙村昇(たかむら のぼる)教授です。

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髙村先生は、原爆投下の地・長崎大学で放射線の健康影響に対する研究を長年続けてきています。原発事故直後から、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーの一人として緊急被ばく医療体制の構築や、放射線の健康影響についてのクライシスコミュニケーションに携わりました。その後、川内村や富岡町に長崎大学の復興推進拠点(サテライトオフィス)を設置し、住民に対するリスクコミュニケーションの取組を進められています。

そうした縁があって、髙村教授は伝承館の館長に就任されました。

以前のHand in Handレポート「放射線って大丈夫?リスクコミュニケーションで不安解消!」では、富岡町で活躍する長崎大学折田先生へのインタビューも掲載していますので、併せてご覧下さい。

● 伝承館館長・髙村昇さんのお話
  • まず、この伝承館の使命といいますか、意義とか、そういうものについてお聞かせください。

    この東日本大震災・原子力災害伝承館の理念というのは、2011年に発生した原子力災害とそこからの復興の記録、教訓というものを未来に継承していくということが一つあります。そしてさらにはこの経験、教訓を今後の防災、減災に生かしていくといったことがあります。
    震災から10年経つということはどういうことかというと、今の小学生に震災の記憶ってないんですね。原発事故で避難したとか、おそらくそういった記憶はもうないんだと思います。今後は、そういった人たちがどんどん増えていくわけですね。それは福島県においてもそうですし、福島県外でももちろんです。ですから、そういった点で考えれば、福島で当時何が起こったのか。それに対して、福島の県民はどう立ち向かって行ったのか。そこから、どうやって復興していったのか・・・。こういうことを、ぜひ知っていただければなと思います。
    先ほど申し上げたように、「将来的な防災、減災に、自分たちがどうやって取り組めばいいんだろう」という話題のきっかけになればいいんじゃないかなと思います。

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  • うわぁ・・・! 広いし、天井も高いですね。いろいろな展示がありそうです。この館全体の展示の構成や流れはどのようなものになっているんですか。

    最初に入るとプロローグ・シアターというものがありまして。5分間、福島県郡山市出身の西田敏行さんが、ナレーションをしていらっしゃる映像を見ていただいた後に、震災前の福島、特にこの浜通り、双葉郡がどういう所であったかというところから始まって、そこに地震の発生があって、津波が来て、そして原発事故が起こって・・・といったことを時系列に展示しております。
    その後、住民の方が避難を強いられて、それが長期化していく中で、風評も含めた様々な問題があって、それで人々の生活が変わっていく様子といったものが、避難された方々の証言も含めて展示しております。
    さらに、福島というのは復興に向けて、世界でも過去に例を見なかったような除染であるとか。あるいは、今も進んでいますけれども、県民健康調査といった県民を見守るような取り組み。さらには、福島の将来に向かっての取り組みですね。例えば、いま現在進んでいる「福島イノベーション・コースト構想」であるとか、廃炉の状況であるとか・・・。そういったことを見据えながら、福島の未来というものを考えるというような内容になっております。

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  • ほんとうにいろいろな展示物がさまざまなメッセージを伝えてきてくれてる気がします。こうしたものを伝承していく、まさに未来に伝えていくということについては、どうお考えでしょうか。

    福島というのはこの東日本大震災の中でも原子力災害を経験したということで、地震による物理的な損傷の痕跡に比較して、原子力災害のアーカイブ資料というのは、どちらかと言うと10年間そのままに遺っている。例えば、10年前の学級新聞がそのまま掲示してあったり、黒板がそのまま遺っている。タイムカプセル化したような状況というのが、原子力災害による遺構、アーカイブの大きな特徴じゃないかと思うんですね。こういったものは、ぜひ、今後もきちんと遺していくべきだと思うんです。「原子力災害が起こると、そこの地域は時が止まるんだ」ということのメッセージを表すような資料というのは、これから先、引き続き収集する必要があると思いますし、きちんと保存していくということは続けるべきじゃないかなと思います。

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3階建て、延べ床面積5,300平方メートルの「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、資料24 万点を収集。うち170点を展示しています。
館内は6つのエリアに分かれ、元の平穏な福島の日常から、原発事故直後の状況、長期化する避難や、復興に向けた取り組みを時系列で展示し、福島を襲った大規模複合災害を伝えています。
大型スクリーンを使って、実写やアニメーションで状況を再現しているほか、地元の語り部から被災体験を聞き、自分ごととして考えることも出来ます。

伝承館で語り部(かたりべ)を務める、アテンダントの泉田淳(いずみだ じゅん)さんに伺いました。

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● 伝承館ガイド・泉田淳さんのお話
  • 開業以来、日々どんな思いで語り部を務めてらっしゃいますか。

    私も地元の人間なものですから、「できることなら、少しでもお話しできれば」というふうに思ってお話ししています。

  • 地元というのはどちらですか。

    双葉町です。ここを出ますと、すぐ近くに、家があった場所が見えるんですけれども、今はもう更地になっています。津波で全壊しましたので。

  • 震災当時は、どんなお仕事をされていたんですか。

    私は教員をやっておりまして、小学校の教頭を務めていました。まずは、「こういう自然災害があったんだよ」ということですね。そして、その中で、津波で亡くなられた方もたくさんいらっしゃる。その悔しさだったり、悲しさだったり・・・。そういうこともお伝えしたいなと思っています。そして原子力発電所の事故があって、さらにひどい目にあったわけです。
    最初にコーナーにあったように『原子力明るい未来のエネルギー』という大きな看板が、その当時の双葉町には飾られていたんです。でも、「本当に、原子力は明るい未来のエネルギーだったのか」ということを考えてもらって、30年、40年かかる廃炉、それから身近なところでは処理水の問題とか、いろんなことがまだまだ先が長いんですよ。そのことについても、みんなで考えてもらいたいと思います。

被災から今なお復興途上にある現在までの状況を体感し、学ぶことが出来る「東日本大震災・原子力災害伝承館」。観覧を終えた方たちの感想を聞いてみました。

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● 伝承館来館者(東京在住 社会人1年生)のお話
  • みなさんでいらっしゃってますが、ここに来ようと思われたきっかけを教えて下さい。

    一人の国民として、「福島の事実に向き合うというのは使命だ」という思いもあるので、勉強しに来ました。
    展示を見させていただいて、「事故当時、すごい大変だったんだな」とか、「住民の方は、辛い思いとかをされたんだろうな」とかいう、そういう感情的な面だけで終わらずに、「これから、自分たちに何ができるのか」や、「何をしていくべきなのか」みたいなところをこれから考えていくようなきっかけを作る場所として、今回見学に来れたことは意義があったと思っています。

  • いろいろな展示をご覧になって、どんなことを思ったり、感じたりされましたか。

    当時、ニュースとかでも、かなり関心を持って観ていたことではあったんですけど、やっぱりこの伝承館で、改めて「自分の考え方が変わったな」というところだったり、「もう一回考え直して、これからどうしていかなくちゃならないのか考えなきゃいけないな」と。そういう良い機会になったと思います。
    私はいまだに、すごい辛いとか、悲しいという気持ちがかなり蘇ってしまうので結構きついんですけど。でも、この施設が双葉にあるということは、すごく意味のあることだと思っています。この施設に来るためだけでも、もっといろんな人が双葉に戻ってきたらいいなと思いますし、住むわけじゃなくても双葉に来る人が増えてくれたら、それはすごくいいことなのかなと思います。

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● 伝承館来館者(福島県浪江町(なみえまち)出身)のお話
  • もともとはこちら、浜通りのご出身なんですね。どうですか、地元にこのような施設ができたというのは、どう感じられましたか。

    出身は浪江なんですけど、今は仙台に住んでいます。伝承館の中の展示も、もちろん震災当時を思い出させるようなものがたくさんあったし、その他にもこの伝承館の周りって、10年前から時が進んでいない部分が結構多いんです。伝承館の中の展示を見て、「ああ、こんなにひどかったんだな」とか、「こういう時はどうしたらいいんだろう」ということを考えて欲しいし、それと同時に、「10年経っているのに、街並みってこんなに変わってないんだ」というのを見てもらえたらいいなと思います。荒れた状態というか、そのまんまなんだなと思いました。

● 伝承館館長・髙村昇さんのお話
  • ほんとうにたくさんの方に来館していただきたいと思いますが、館長から、このレポートを読んでいただいている皆さまへのメッセージをお願いします。

    福島の事故からもうすぐ10年経とうとしております。福島の復興というのには、少しずつ地域によって違いができている。そして、さらに忘れてはならないのは、10年経った今でも福島県内では38,000人余りの方がいまだに避難を続けていらしていて、故郷に帰りたくても帰れないという状況があります。これもやっぱり、10年経った福島の現実なんですね。
    10年という節目を迎えますけれども、福島の事故というのは、廃炉も含めてまだまだ途上にあるということをぜひご記憶いただければと思いますし、伝承館に来ることで、この10年間、福島県民が復興に向かってどのように歩んできたのかということについて、ぜひご覧いただきたいというふうに思います。いろいろな声を聞きますけれども、中では、「一部、見るのがちょっと辛いかなというところもあった」という率直な声もいただきましたし、「当時のことがいろいろ思い出せてよかった」とか、いろいろな声がございますので、そういった声を踏まえながらですね、より良い施設にしていくように努力をしてまいりたいと思っています。

間もなく10年という時間が経過するなか、震災の記憶が風化していってしまうのではないかと懸念されています。そうした中で、福島の「未曾有の大規模複合災害」を自分ごととして体感し、学ぶことができるのが、「東日本大震災・原子力災害伝承館」。すでに教育旅行を始め、多くの方々が訪れています。

震災後、福島県では復興が進みつつあるものの、その一方でまだ38,000人余りの方がまだ避難を続け、この双葉町でもまだ復興への取組が続けられている現実があります。
災害から命を守るための意識や知識を学び、伝承していくため、そして今なお厳しい状況が続く福島へ思いを寄せるために、ぜひみなさんにも訪ねて欲しい場所の一つです。

公共交通機関でJR双葉駅まで来られた方は、「直通のシャトルバス」がご利用できる他、「シェアサイクル」「ちょい乗りレンタカー」「カーシェアリング」なども利用できますので、詳しくは下記をご参照ください。

伝承館のすぐ隣には、「双葉町産業交流センター」もあります。これは、伝承館の開館に続いて10月に開所した、双葉町の産業復興や観光交流などの中核を担う複合施設です。ここには、震災前に双葉駅前で営業していたファストフード店「ペンギン」や浪江焼そばの有名店「せんだん亭」も出店しており、食事やお土産の購入などもできますので、時間を気にせず、伝承館の展示をご覧になることができます。

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産業交流センター