Hand in Handレポート 「南相馬を再びサーフィンの町に!」

全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。

「あれから10年、復興が進む福島を行く」と題して、来年3月に東日本大震災から10年目を迎える福島県の「今」をお伝えしています。

今回は、福島県の南相馬市を訪ね、「南相馬を再びサーフィンの町に!」と題してレポートします。

太平洋に面している福島県は、南北に伸びる広い海岸線を持っており、数多くの海水浴場があります。今回ご紹介するスポットは、2019年7月、9年ぶりに海開きを果たした、南相馬市の「北泉(きたいずみ)海岸」です。

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南相馬市は、国の重要無形民俗文化財にも指定されている「相馬野馬追(そうま のまおい)」という伝統あるお祭りが行われることで有名ですが、世界大会が行われたこともあるサーフィンの町でもあるのです。世界大会の会場になったのが、日本有数のサーフスポット「北泉海岸」。震災前、ここは年間約10万人ものサーファーや海水浴客で賑わっていたといいます。

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東日本大震災による津波と原発事故の影響を受けて、「北泉海岸」をはじめとする南相馬市の海水浴場は長く閉鎖されていました。その間も、市は海水の放射線モニタリング調査を毎年行ってきましたが、数年にわたって海水からは放射性物質は検出されておらず、安全性が確認できたこと、また、津波で損壊した海岸施設が復旧して、災害時の避難路が確保できたことなどから、2019年7月、9年ぶりに海開きを迎えました。そして、事故後初めてとなる全国規模のサーフィン大会も開かれるなど、着実に復活への歩みを進めています。

今年も、北泉のビーチはオープンしていて、私たちが訪ねた8月下旬の週末も、多くのサーファーや海水浴に訪れた家族連れで賑わっていました。この北泉海岸をホームビーチにするのが、サーファーで、地元のサーフショップ「SUN MARINE(サン マリン)」のオーナー、鈴木康二(すずき こうじ)さんです。南相馬の海をこよなく愛し、45年間にわたってサーフィンを続けている鈴木さん。この日も朝6時から北泉の海に入っていて、海から上がってきたばかりの鈴木さんに、震災からこれまでの歩みや、南相馬の海の魅力について、お話を伺いました。

● 鈴木康二さんのお話
  • 今日、波はどうでした?

    今日は、風も悪いし、波も小さいんで、ちょっと難しい波ですね。

  • この北泉の海岸は、鈴木さんにとってはどういう場所ですか?

    商売でサーフショップをやっているもんですから、毎日サーフィンをやったり、今日もスクールをやりながら海に入ってたんです。生まれは市内の鹿島区(かしまく)というところです。そこの右田浜(みぎたはま)というところに自宅兼サーフショップがあります。昔はそこでサーフィンをしていたんですけど、だんだん海岸の侵食とかで波も良くなくなってきて、北泉海岸の方が良くなってきたんで、最近は北泉海岸でずっとやってます。

  • 子供の頃とかはどんな風に遊んでいたんですか?

    右田浜というのは、ここと同じく海水浴場だったんですけど、小さい時は、そこに入って朝から晩まで泳いで遊んでたという感じですね。

  • じゃあ、もうずっと海に入っていらっしゃったんですね。

    そうですね。60年くらい海に浸かっていますし、サーフィン歴は45年です。

  • 45年!すごいですね。主に、この南相馬の海岸でやられているんですか?

    そうですね。右田浜と北泉の間に烏崎(からすざき)というところがあるんですけど、この烏崎と北泉の海でコンディションが良い方の場所で入っている感じです。年間で360日ぐらいチェックに来て、200日くらい海に入る感じですね。

  • ただ、やっぱり震災の被害というのはすごくあったんですよね。

    この辺はものすごい被害があって、自分が住んでいた右田浜で70~80人位が亡くなったようです。この北泉も全滅で、もっと南の萱浜(かいばはま)というところも相当亡くなった人がいます。家はほとんど全部流されて、基礎しか残っていないくらい全部流されています。うちもお店兼自宅だったんですけど、綺麗に流されて何一つ残っていなかったですね。

  • 鈴木さんはその時はどちらにいらっしゃったんですか?

    自宅兼ショップで、その日もサーフィンをして、自宅に帰ってウエットスーツを干して、店番をしていました。揺れが来て、サーフボードは倒れるわ、テレビは倒れるわで、そのうちに放送で「7mの大津波が来る」みたいな感じだったんですよ。とりあえず避難しようといって、もう何も持たずに、すぐ戻ってこれると思ったんで、飼ってた犬を連れて避難したんですよ。そうしたら避難先で、後から来た人が「もう何もないよ」と言っていて。その後、原発の事故があって、もう流された場所に戻ることもなく避難したという感じですね。

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    原発事故のあと、地域の住民は、市が用意したバスで新潟県などへ避難することになりました。しかし、犬を飼っていた鈴木さんは自家用車で東京にいた娘さんのもとへ避難。その後、川崎、仙台を経て、その年の6月に南相馬市に仮設住宅ができ、地元へ戻ってきました。

    震災から3か月後の6月、放射能汚染の不安もあるなか、南相馬へ戻ってきた鈴木さん。

  • 当時は、どんなお気持ちでしたか。

    放射能のことは、一応、気にはしてたんですけど。除染する前だったんで放射能は高かったんですけど、それでも生活するのにはそんなに問題ないというのと、海も検査して、この辺は放射能はたいしたことなかったんです。風向きが、ちょうどこの辺はかわした感じだったんですね。だから、そんなに放射能自体の影響というのはなかったです。小高(おだか)はかなり原発に近いので、小高の人は戻ってこなかったですけど、原町(はらまち)と鹿島区の人たちは意外に戻っていきましたね。

  • 震災後、海を離れてからどのくらいして、海をまた見ましたか。

    結局、自宅が海のすぐそばだったので、仙台に来たころからちょこちょこ帰ってきては海を眺めに行ったんですよ。その時にぼーっと海を見てたんですけど、周りはすごい瓦礫の山で、もう何もなくて全然景色が違ってるんです。でも、海は全然変わってないんですよ。夏の6月、7月で天気の良い日で、すごく波もいいし、何か見てるうちにムラムラっと波乗りしたくなってきて、それでウエットスーツを着て入ろうとしたら家族から猛反対を受けたんです。

  • それはどういう理由で反対だったんですか?

    やっぱり、「こんな時に不謹慎だ」という感じじゃないですかね。福島のサーフィン連盟も最低でも1年くらいは喪に服すという意味で、「サーフィンは禁止しましょう」みたいな流れだったんです。でも、商売をやっている人が1年自粛してサーフィンをやらないで、何すればいいのという感じだったんです。ここは「野馬追」っていう行事があるんですけど、たまたま隣の人が「野馬追」に出場している人で、その人は家族をほとんどなくして一人ぼっちになって、「でも、自分が『野馬追』に出て復活するというのが、亡くなった家族も望んでいるんじゃないか」って、それが美談として取り上げられたんですよ。それを見て、市役所の人に「やっちゃダメなんですか」って聞いたんですよ。そうしたら、「やっちゃだめだというのはないから、自己責任でお願いします」というような言い方だったんですよ。で、とりあえずやると決めて、家族の反対を押し切って、「俺がやればみんな戻ってきて、それで昔のような海になるかな」と思って始めたんです。それが7月ですね。

  • ご自宅もお店も、海に奪われたという部分があると思うんですけど、それでもやっぱり、海は嫌いにならない?

    それくらいじゃ、嫌いにならないですね。

    震災から4か月後の7月、誰もいない海に、周囲の反対を押し切って一人で入った鈴木さん。浜には瓦礫が山積みとなっていましたが、「海の中は震災前と変わらない、美しい海だった」と、当時を振り返っていました。そしてその時、胸には「俺がやればみんな戻ってきて昔のような海になる」という、強い気持ちが秘められていました。

    それから8年後。2019年7月に、北泉海岸は海開きを迎えることができました。今では、サーフィンスクールも開いている鈴木さんの元には、若手からベテランまで多くのサーファーたちが教えを求めてやって来ています。取材に訪れた日もみんなで並べてボードを浮かべ、いい波をつかもうと励んでいました。

    そしてその中には、県外から南相馬へやってきた移住者もいます。お話を伺ったのは、医師でサーファーの石原秀一(いしはらしゅういち)さんです。

  • 今日は、波はどうでしたか?

    最悪です。乗れてないですよね。イケてないです(笑)

  • でも、波を待っている姿がすごくかっこよくて。私が今拝見する限りでも完全なるサーファーでいらっしゃるんですが、ご職業は?

    こう見えても医師なんです。北泉の人たちは僕の事を“先生”と言ってるんですけど、
    何の先生だかはわかってないと思います。ただ、あだ名が「先生」なんじゃないかなと・・・(笑)

  • サーフィンを始めて何年目ですか?

    5年目に入ります。今61歳です。友人が学生時代からサーフィンをしていて、ここの北泉というところがサーフィンの聖地だということで、「サーフィン教えてよ」と言ったら、「師匠をまず訪ねろ」と言われて、それがきっかけですね。

  • 南相馬に移ってからは何年目ですか?

    今、7年目ぐらいですかね。震災後からお手伝いには来てたんですけど、こっちに完全に移るようになってからは7年目ですかね。

  • 何かきっかけがあったんですか?

    一つは医療過疎の問題があって、それで来させていただいたんです。「どうせ東京から来た先生なんだから半年から1年すれば帰っちゃうんでしょ」みたいな感じで言われてたんですけれども、そういう風に言われてなんとなく悲しくて。で、5年を過ぎたくらいから、患者さんから「ずっといるんだな」と、やっと思われたかなという感じはありましたね。

  • 不安とかはなかったんですか?

    ぼく自身は全くなかったんですけど。私の周囲の連中が「危ないからやめろ」とか、かなり非難もされましたし、批判もされました。でも、来てみたら皆さん良い人たちばかりで。たまたまそういうふうに恵まれたのかもしれませんけれども、でもまさかこんなにハマるとは思わなかったですね。東京から出たことがないので、まず田舎に住むというのは無理なんだろうなと思ってたんですけれども、意外とこのスローライフがはまっていて、これ何もしなかったら、たぶんいられなかったんじゃないですかね。サーフィンがあるから、たぶんいられたんだと思いますね。ぶっちゃけすごくいいですよ。ときどき東京に行く用事があっても、「南相馬に帰ろう」って思っちゃいますね。

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    震災の4か月後には海に入ったという鈴木康二さん。翌年の2012年11月には、津波で流されたサーフショップ「SUN MARINE」を、少し内陸に場所を移して再開させました。最初に北泉海岸でお話を伺った後、車で10分ほどの「SUN MARINE」に場所を移して、お話の続きを伺いました。

  • 田園を超えてきたら可愛いお店があって、「あっ、ちょっとハワイじゃん」と思って中に入ってみると、所狭しとサーフグッズが置いてあって、「可愛い……」って口にする間もなく入っちゃったんですけど、今私たちがいるサンマリン。お店を再開したということで、ちょっと場所を移動してきましたが、震災があってその翌年の11月にオープンって、すごいたくさんの想いがこもってるんじゃないですか。

    サーフショップとは言ったものの、ちょっとした自分の隠居部屋というんですかね。本当にもう自分の好きなようにレイアウトして、自宅の隣の憩いの場みたいになっているんですけど。さっきいた連中を集めてサーフィンのレッスンというか、海ではできない指導をここでやったり、サーフボードの修理なんかもそっちでやってるんですけど。若い人たちが、「サーフィン上手くなるにはどうしたらいいんですか」と言って、「こうした方がいいよ。ああした方がいいよ」って、ワイワイやるのが楽しいという感じですね。

  • でも、震災があって、去年の海開きまでの間、お店は開いてるけれど海は開いていない状態で、鈴木さんに会いに来る人って、たくさんいらっしゃいましたか。

    新しくサーフィンを始めるという人が少なくて。でも、さっきいた連中というのは去年とか今年に始めた人たちなんで、サーフィンが新鮮で楽しくてしょうがないという感じだと思うんですけど。サーフィンをやっている人の子供が今日もいたじゃないですか。前はああいうのを見てなかったですから、嬉しいですね。うちの孫なんかも海水浴に来て。「海の水ってしょっぱいんだ」っていうのを知らなかった子供たちが、砂まみれになって泳いで波をバシャッと。ここの波、高いじゃないですか。それが魅力というか、自分たち小さい時はサーフボードはなかったですけど、波に体で乗ったりとか、浮き輪で波に乗ったりして、一日中遊べたという感じだったんです。すごい嬉しいですね。

  • 次の3月で10年になりますが、海にも人が帰ってきているなという感じはありますか。

    南相馬市としてサーフツーリズムということで、サーフィンで町おこしのために大きい大会を誘致したりして、それで活性化させてもらっています。自分たちが中心になって、町と一体になってやってるんですけど。まあ、福島原発(の事故)というのは今後もずっと伝えられていくとは思うんですけど、それはもう過去の話で、実際の海とか町は、もう再生しているという実感みたいなのはあります。

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南相馬市はいま、“サーフツーリズム”を通じて、交流人口の増加、地域経済の活性化を目指しています。鈴木さんも、まさにその一端を担っています。愛してやまない南相馬の海を楽しみ、その楽しみをひとりでも多くの人と共有することが、交流人口や地域経済だけでなく、南相馬の海の安心安全の発信にもつながるのだと思います。

そして、2020年の9月6日には、鈴木さん主催のサーフイベント「SUN MARINEカップ」が、北泉海岸で開催されました。コロナ禍で全国の大会が軒並み中止になるなか、「全国のサーファーたちに明るい話題を提供したい、地域を元気づけたい」と、開催を決行。30回目の記念大会でもあったのですが、それを祝うように波の状態も良く、全国から集まった約70名のサーファーが技を競ったのだそうです。

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今回、南相馬の北泉海岸の魅力に焦点を充てましたが、南相馬では、歴史・文化がたくさん残っていて、馬と人が共に暮らす文化が根付いている南相馬。冒頭でもご紹介した「相馬野馬追」は、400頭もの馬に甲冑姿の侍がまたがり、行列や競馬を披露する勇壮なお祭りで、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。時期によっては、朝日を浴びて波に乗るサーファーと砂浜を走る馬が同時に見られることもあるそうです。
また、2020年9月12日には、「福島ロボットテストフィールド」、通称「ロボテス」の開所式が南相馬市で開催されました。「ロボテス」は、無人航空機(ドローン)や災害対応ロボット、自動運転ロボット、水中探査ロボットといった陸・海・空のフィールドロボットの世界に類を見ない一大研究開発拠点。既に200件を超える実証実験が行われるなど、日本の最先端のロボット研究・開発が進められています。一般の方の見学も可能です。
多彩な魅力いっぱいの南相馬。ぜひ、一度訪れてみてください。

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また、福島県には、今回ご紹介した北泉海岸の他にも、海水浴場がたくさんあります。こちらもぜひ、訪れてみてください。

  • 福島県の主な海水浴場
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