Handレポート「知って!食べて!行こう!ママが行く!福島ツアー」

Hand in Handレポート「知って!食べて!行こう!ママが行く!福島ツアー」

全国各地の災害被災地の現状と、復興へ力を尽くす人たちの姿を通じて、防災減災の教訓を伝えていく、さらにその地域の魅力を伝え、復興の応援につなげていく復興応援プログラム「Hand in Hand」。

今回は、パーソナリティの高橋万里恵さんが、福島県外在住のママたち、タレントの渡辺美奈代さんと息子の矢島名月さん、そして育児マンガをInstagramで発信しているイラストレーターのモチコさんとともに参加した、「知って!食べて!行こう!ママが行く!福島ツアー」の模様をレポートします。

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渡辺美奈代オフィシャルブログ「Minayo Land」より
https://ameblo.jp/minayo-watanabe/entry-12538555319.html

震災から8年が経った福島では、復興に向けた活動が進む一方で、安全性が確認されても、不安をぬぐい切れていないために、今なお、福島産の農産物の価格が下がったままだったり、外国人観光客の増加が他の地域に比べ鈍くなったままだったり、教育旅行で訪問する学校の数が回復していなかったりしています。

今回のツアーは、福島の今を知り、美味しいものを食べ、人に出会い、その魅力を感じて頂くことを目的として、県外在住の10人のママたちに参加していただき2019年10月23、24日に開催されました。事前にママたちによる企画会議を行い、ママたちが行ってみたい、見てみたい場所を中心に訪問先を決定しました。

ツアーでは、Jヴィレッジ(楢葉町、広野町)、請戸小学校・大平山霊園・O CAFE (浪江町)、まるせい果樹園・土湯温泉(福島市)、ふくしま農家の夢ワイン(二本松市)、仁井田本家・JA福島さくら(郡山市)、三春の里(三春町)など福島県の浜通りから中通りまで訪問し、地元の復興状況を知るとともに、地元の方々との交流を行いました。

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イラストレーターのモチコさんの「ママが行く福島ツアー 同行取材記」より
http://www.fukko-pr.reconstruction.go.jp/2018/fukushimanoima/manga/

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まず、今年4月に全面復活したJヴィレッジで昼食を取り、浪江町に向かいました。移動のバス車中で、環境省と福島県の施設「環境再生プラザ」の専門家・安藤宏さんから放射線について講義を受けました。

● 環境再生プラザ・安藤宏さんのお話

原発事故から時間が経過し、空間線量率は大きく減少しています。(※1 参照)

Jヴィレッジのある楢葉町の道の駅にあるモニタリングポスト(※2 参照)の昨日(2019年10月22日)のデータが0.065マイクロシーベルト/時、1年間にすると約0.3ミリシーベルトになります。東京(新宿)の昨日の数値は0.036マイクロシーベルト/時、1年間にすると約0.2ミリシーベルトです。東京は、自然放射線のみの数値です。自然界の放射線でもこれだけ計測しているということがわかりますし、福島県内の主要都市と東京の空間線量率はほぼ変わらない状況になっています。(※3 参照)

※1 復興庁「風評の払拭に向けて」より

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※2 モニタリングポスト:空間線量率などを計測する機器。全国の空間線量測定結果は以下のサイトで地図形式で知ることができます放射線モニタリング情報(原子力規制委員会のホームページ)>

※3 復興庁「タブレット先生の福島の今」より

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福島県内の放射線量は減少しているものの、放射線による健康影響に対する一般の方の意識はどうかというと…

● 環境再生プラザ・安藤宏さんのお話

おととし(2017年)東京都民を対象にして実施した「放射線による健康影響に関する意識調査」では、「福島県民に、これから健康被害がでるかどうか」、また「福島県の子ども達世代、将来世代にこれから健康被害がでるかどうか」という質問をしています。

結果を見ると、「可能性は高い」または「可能性は非常に高い」と回答した方が半分いらっしゃいますが、これは大きな間違いです。あえて正解をいうなら「可能性は非常に低い」。「可能性はない」と言った方が正しいのです。(※4 参照)

皆さんは、この質問を受けてどういう風に答えられますでしょうか?いま私の説明を聞いて、考え方が変わった方もいるかもしれません。しかし都民の方の中には、こういう意識の方が未だ半分いらっしゃって、その意識が様々な風評被害を生んでいるという実態があります。

例えば、福島に来る観光客です。一般の観光客は、やはり震災で一度落ち込みましたが、今はだいぶ戻ってきています。しかし問題は、就学旅行やスキー教室などの教育旅行です。未だ70%くらいしか回復していません。(※5 参照)原因は子どもを送りだす親御さんが過剰な心配をされて、福島以外の場所にしましょうということで教育委員会やPTAで決めてしまっているのです。福島に来ることは全然問題ないのですが、実際にはこういった風に観光業、他にも農産物の価格が低くなっているなど色々な被害がでているのです。これは全く根拠のない風評です。これらをなんとか応援して、払拭していきたいと思っています。

今日感じたこと、新しく知ったことなどを、東京に帰られて、ぜひ皆さんの口から伝えていただければと思います。

※4 三菱総合研究所「2020オリパラで求められる福島復興・放射線リスコミ研究」より

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※5 観光の復興状況 - ふくしま復興ステーション - 福島県ホームページ

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バス車内で放射線に関する基礎知識や風評被害の実態を学んだ後、参加者は浪江町に到着。

浪江町は、2017年に一部地域の避難指示が解除され、居住ができるようになりました。県内有数の好漁場を沖合いに持つ請戸漁港が2018年に再開され、また先月9月には魚の仕分けや競りなどができる施設が完成し、徐々に水産業の復興も進んでいます。

そんな請戸漁港のすぐ近くにあるのが、請戸小学校。海岸線から約300mの距離にあり、震災時には校長先生の判断で、地震から8分後に避難行動を開始しました。その結果、高さ15メートルの津波が小学校に押し寄せましたが、児童、教職員合わせて94名全員助かっています。このことは、「請戸小学校の奇跡」としても知られており、絵本も作成されています。

請戸小学校の校舎は、その教訓を伝える学びの場として、福島県内で初めて震災遺構として残しておくことが決まりました。

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そして、まちづくり団体「なみとも」代表 小林奈保子さんの案内で、震災当時、児童が避難した大平山へと向かいました。

● まちづくり団体「なみとも」代表・小林奈保子さんのお話

ここは請戸小学校の子どもたちが避難した大平山です。ここから請戸小学校が見えますが、1.5キロほど距離があります。元々の避難経路は、避難する車で大渋滞していたため、子どもたちは田んぼのあぜ道を通ってこの大平山に避難しました。到着したのが3時40分頃。請戸小学校に津波が来たのは、時計が止まっている3時38分。その差は数分しかありませんでした。もし数分でも避難が遅れていたら命が危なかったかもしれない、本当にギリギリのところだったのではないかと言われています。また車が渋滞していた避難経路にも津波は押し寄せてきたため、渋滞に巻き込まれていた車の方も亡くなっています。そういった経験から、避難経路が本当に安全なのかということも、自分たちが住んでいる場所で考えていく必要があると思います。

そして、請戸地区を一望できるこの大平山に霊園が作られました。この景色を見て何を思うかを是非考えていただきたいと思います。

続いて向かったのは、常磐線・浪江駅前の商店街通りです。
● まちづくり団体「なみとも」代表・小林奈保子さんのお話

この辺り、建物が少ないなという印象を持たれるかと思います。多くの商店や住宅が建っていた場所ですが、現在は解体されて更地が増えてきている状況で、かなり町の風景が変わってきています。町の人もそこに何があったのか、もう思い出せないという方もいらっしゃいます。

震災の影響でなかなか浪江町に戻るのが難しいという方や、避難先の家を残してこちらに住むのを悩んでいる、迷っている方などいらっしゃいますが、時間が経って、そういう家屋が解体されてきてしまっています。

普段の生活の中に、こういった風景が未だにあるということを知っていただければと思います。

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続いて参加者を迎え入れてくれたのは、「O CAFE(オ・カフェ)」の岡洋子さん。カフェといっても、飲食店ではありません。避難している人が浪江の自宅に戻ってきた時に、ふらっと立ち寄れる場所、ほっとなごめる場所です。

● 浪江町「O CAFE」岡洋子さんのお話

うちは代々続く農家です。長期避難している間に、家がハクビシンやイノシシやコウモリやいろんな動物に入られてしまいました。家の周りを除染してもらったので、娘たちを5年ぶりに連れてきました。何もないガランとした家の中に入った娘に、「こんな冷たい家だったっけ」と言われて。その日に主人が家を壊すと言いだしました。

それから1年ずっと話し合って、倉庫をリフォームして私たちが帰る場所を作ろうということになったんです。娘がコーヒー好きで、コーヒーコーディネーターの資格を取っていて、私も紙芝居をしていたので、「みんなが集えるカフェのようにしたらどうか」ということになったんです。お墓参りに来た時にちょっとここに来て、泣いてもいいし、笑ってもいいし、明日また頑張れる、そんな場所になってほしいなと思って「O CAFE」を立ち上げました。商売ではないんです、帰る場所です。

母屋は解体してしまいましたが、娘たちが小さい頃背比べした傷の残る柱をカフェスペースの奥の部屋の柱に使ってもらったんです。それと共に私たちはまたここで生きていこうかなと思っています。

岡さんは、浪江町の出来事を紙芝居で伝える「浪江まち物語つたえ隊」の活動もしています。ふるさと浪江の昔話だけでなく、震災と原発事故を風化させないため、震災で起きたことを紙芝居にして国内外で発信しています。今回読んでくださったのは、原発事故で救助することができなかった命を無念に思う消防団の人々の苦悩を描いた紙芝居でした。

「O CAFE」は、商業目的ではないため不定期オープンですが、岡さんがいるときなら誰でも受け入れてくれるそうです。

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浪江町を訪れたママたちの感想の一部をご紹介します。

「大阪市から参加しました。辛い経験、ご苦労も本当にたくさんあったけれども、そういう素振りは一切見せずに私達のことを迎え入れてくださって。今から私達ができること、一歩進めるお手伝いができるとすれば、福島はこんなに良いところですごく良い方ばかり、みんなが来てくださるのをこんなに喜んでくださるんだよとか、そういう明るい発信をしていくっていうことなのかなというのは思っています。」

「東京から参加しました。浪江町に以前知り合いが住んでいて、今回東日本大震災で住めなくなってしまったので、その浪江町がどうなったのかということを自分の目で見たいと思っていました。現場も見て、実際に浪江の人のお話を聞いて、とてもしんどい思いをしたんだなっていうことを思いつつ、浪江の方たちがとても明るく、頑張っていたことにすごく感銘を受けました。自分のブログを通して、すごく良かったところ、頑張っているところと、まだまだ大変だなっていうところの両方を伝えていければなって思っています。」